1864年、17歳の頃のエジソンはカナダの駅で夜間電信係として働いていたが、退屈な仕事に飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を発明した。
電信を機械に任せて自分は寝ていたところ、それまでと違って全く誤差なく正確に1時間おきに電信が届くようになったことを不思議に思い様子を見にきた上司に「お前が寝ていたら定時に連絡する意味がないだろう」と怒られた。

1868年、21歳のときに初めて特許を取得した。それは電気投票記録機に関するもので議会における賛成票と反対票の数を押しボタンで瞬時に集計し、投票にかかる時間を大幅に短縮できる画期的な発明となるはずだった。
しかし、実際の連邦議会や各州の議会では、野党の議員による投票中のフィリバスターや与党の議員との交渉ができなくなるという理由により、全く採用されなかった。
エジソンはこの苦い経験を通して、いくら立派な発明でも人々が喜んでくれなければ何の意味もないことを痛感し、その後は周囲の人々の意見や要望をよく聞いてから発明に取り組むようになったという。

1869年、22歳のときに特許を取得した株式相場表示機(ティッカー)は業界から大いに歓迎され、その特許権を譲ってもらいたいという申し出があった。最初、エジソン自身は5,000ドルほどで特許権を売るつもりであったが、実際には4万ドル(現在の日本円で約2億円相当)で買い取られ、エジソンは当初の予想より8倍も高い金額を提示されて、心臓が止まるかと思うほど驚いたという。こうしてエジソンは発明家としての人生を本格的に歩んでいくことになった。

1879年、32歳のとき 、木綿糸にすすとタールを 塗って炭素化かさせたフィラメントを使い、 約14時間連続して点灯白熱電球を開発しました。

しかし、 白熱電球を世の中に売り出すには最低600時間の点灯が必要と考え、 世界中から6,000種類の材料を取り寄せて試しました。そしてたまたま 研究室にあった扇子の竹材料で作ったフィラメントを使ったところ200時間点灯できました。それで、フィラメントの素材を「竹」に絞り20人の調査員を竹採集のため世界に派遣して、1,200種類の竹で実験しました。